【ティーガー131号車の戦い】
ティーガーI「131号車」が生産された1943年2月は戦いの潮目が連合国側に傾き始めた最中でした。スターリングラードではドイツ第6軍が包囲されて降伏、無敵と思われたロンメルのアフリカ軍団はエルアラメインの戦いに敗れ、大後退の真っ最中。更にチュニジアにはアメリカ軍が上陸しました。北アフリカを失えば、連合軍は容易にイタリアに上陸してきます。ヒトラーは北アフリカを死守しようと、配備の始まったばかりのティーガー2個大隊を送り込みます。第501大隊と第504大隊です。

このうち、先に送り込まれた第501大隊の装備車両はかなり早い生産時期のもので、ドラゴンの#6600に近い仕様です。研究者によると、北アフリカに送り込まれた車両の多くは1942年8月から11月の生産車であると考えられています。しかし、工場で製造された状態でそのままアフリカに送り込まれたのでは無く、先にレニングラード戦線に投入された第502大隊の戦訓から、製造後にサイドスカートやマフラーガードなどを後付けで装備しています。これらは後に制式化されたものとは特徴が異なる、独特の装備となっています。例えば、車体後部のマフラーガードがやや角張った形のものですが、これはこの大隊だけで見ることができる装備です。第501重戦車大隊は42年11月にアフリカに到着すると、米英軍と激闘を繰り広げ、途中からは第10装甲師団の麾下に入って同師団の第7中隊と第8中隊として活躍しました。

これに対し、131号車を含む、第504大隊構成車はもう少し後の生産時期のもので、43年1月から2月生産車であったと言われています。
43年3月12日、部隊の最初のティーガーがチュニスに揚陸されました。しかし、これは3両だけで、3月17日、当時、多数の上級指揮官が負傷し部隊行動がままならかった第501重戦車大隊(第10装甲師団麾下)を解隊し、保有していた11両を麾下に入れて台数を補いました。
その後もティーガーは順次到着し、131号車も3月から4月に掛けて揚陸されたティーガーに混じってアフリカに到着しました。

43年4月20日から21日未明に掛けて、部隊は第5降下猟兵連隊と共同して英軍に攻撃を加え、第48王室戦車連隊所属のチャーチル戦車(6ポンド砲装備)と戦闘を交えました。この戦いで131号車は被弾し、乗員は車両を放棄して脱出しました。
戦いの後、131号車を手に入れた英軍は稼働できるように修理し徹底調査を行いました。

131号車が被弾した戦闘について詳細は不明です。
著名な「重戦車大隊記録-1」では「失われたのは4月19日」とそもそも日付が異なっており「キューポラに命中した砲弾で防弾ガラスが割れ、車長が負傷し、乗員が動揺して車体を放棄」と記述されています。しかし、遺棄後の戦場写真(複数の写真を併せ見るとほぼ全周が確認出来る)を見ても、キューポラに目立った損傷は無く、ボービントンの131号車のキューポラにもガラスが割れるほどの損傷痕はありません(博物館展示車に残る小口径弾の跳弾痕と記録写真を比べると、ボービントンのキューポラは131号車オリジナルである可能性が高いと思われます)。ボービントンの131号車のレストアは、弾痕やダメージはなるべくそのまま残す方針のようですから、「重戦車大隊記録-1」の記述には疑問が残ります。

Wikipediaを含む戦記物には、131号車損傷の場に居合わせたかのように語っているものがたくさんありますが、論拠のソース自体が孫引きに近く、信憑性はかなり怪しいと思われます。ボービントンによると、乗員の直接の証言は見つかっていないとのことです。
また、捕獲時の英軍レポートには損傷程度が記述されておらず、英軍の修理記録も見つかっていません。

ここでは、ボービントンの博物館員によるレポートから最後の様子を推測してみたいと思います。
著作権の関係で写真そのものは表示出来ませんから、ご面倒でもリンクをご覧ください。
ソース:http://www.tiger-tank.com/secure/journal.htm

ボービントンの調査によると、レストア開始時、131号車には小火器や榴弾片による多数の弾痕の他、徹甲弾2発の被弾痕がありました。いずれも正面方向から被弾したものです。

1発は砲身基部の装甲スリーブをかすめた後、防循下部をえぐり、砲塔基部に達しています。
http://www.tiger-tank.com/secure/journal35.htm(写真上)
また、131号車の車体天板には車体中央、砲塔リングの手前にD字型の孔を塞いだ跡があります(これはボービントンでレストアに入る前に既に修復されていました)。また、操縦手席右には天板から入った砲弾による損傷痕が残っており、この砲弾は砲塔基部に当たった後に跳ね返り、天板(装甲厚26ミリ)を貫通して操縦手を傷つけた可能性が濃厚です。
http://www.tiger-tank.com/secure/journal36.htm
※この砲弾が砲塔を旋回不能にした、としている記述も多いですが、被弾痕の位置と砲弾自体が跳弾していることから、その可能性は低いと思われます。
この砲弾が操縦席周りにダメージを与えたと考える傍証はもうひとつあります。放棄直後の131号車の操縦手ハッチはノーマルで、きちんと閉まっています。しかし英軍が一次検分を終えた直後の写真では僅かに開いた状態で停まっています。ティーガーのハッチは重く、途中で止めるのは至難の業です。この位置で停まっているというのはハッチのヒンジに何らかの損傷が生じていることを臭わせます。この後、131号車は装填手ハッチを交換(後述)、捕獲時に既に一番上の発射筒が失われていた左側スモークディスチャーを修理した上で、国王ジョージ六世の検分を受けています。このとき、よく見ると、操縦手ハッチが(他の個体から持ってきた)通信手ハッチに交換されているのです。
https://en.wikipedia.org/wiki/Tiger_131#/media/File:The_British_Army_in_Tunisia_1943_NA3693.jpg
(注意深く見るとペリスコープガードの向きが逆になっていることが読み取れます)
また、英国に到着した後、上方から撮影した写真でもこのことがはっきり分かります。やはり操縦手ハッチはその後の潜行試験に耐えられないくらい損傷していたと思われます。

もう1発は左側の砲耳に命中して上半分を削り取っています。これだけでは砲が発射不能になることはありません。しかし、レストア中、砲の平衡を取るシリンダーに損傷痕が見つかっており、ボービントンのスタッフは「この砲弾の衝撃によりシリンダーが損傷して砲が操作不能になったのでは無いか」と推測しています。
http://www.tiger-tank.com/secure/journal35.htm(写真下)
http://www.tiger-tank.com/secure/journal37.htm

つまり「重戦車大隊記録-1」記述のように、まだ戦えるにも関わらず、パニックを起こして逃げた、という不名誉なもので無く、131号車には不運な被弾が立て続けに起き、移動することも射撃することもできなくなり、やむなく車両を放棄した可能性が高そうです。この2発のどちらが先に着弾したかはおそらく永遠に分からないでしょう。

ボービントンでレストアを開始したとき、装填手ハッチは無傷でしたが、放棄直後に英軍が撮影した戦場写真では装填手ハッチが開いた状態で、被弾によって大きく破損しています。戦闘中、装填手ハッチを開くことはまずありませんので、これは脱出時に開いたハッチに被弾したようです。この部分はテストに先立ち英軍が他の個体から装填手ハッチを取りつけたようです。
http://www.tiger-tank.com/secure/journal38.htm

現在、131号車の操縦手ハッチは、正しく、操縦手用が取りつけられています。

塗装について:
未だに議論の多いアフリカのティーガー塗装色ですが、131号車に関してはオリジナルの塗装色が残っている部分があり、RAL8000ゲルプブラウンとRAL7008グラウグリュンの2色迷彩だと分かっています。
ラッカー系ではガイアノーツの「ドイツ戦車アフリカ軍団」に含まれており、
ライフカラーでは、UA203 RAL8000、UA212 RAL7008として単体売りされています。

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